 |
| 御社のこれまでの沿革について教えてください。 |
| |
 |
神谷社長 |
創業時はマグネシウム鋳造を手がけていました。戦後間もない頃、航空機軍需産業の拠点であった名古屋市には、航空機エンジンの製造に使われていたマグネシウムの削り粉が多量に廃棄されていました。燃えやすい危険な金属であるため、削り粉を回収して再溶解しインゴット(金属の固まり)にしてほしいと名古屋市から依頼があったのが発端です。神戸製鋼に勤めていた先々代の初代社長である私の叔父が、有志を集めてマグネシウム鋳造の企業組合を昭和25年に設立しました。社名の「光生」は、溶解した軽金属の鮮やかな光の中から人生の幸せが生まれる、という由来です。名古屋市の仕事を請け負った訳ですが、当時の市にはお金はなく、工賃の変わりがマグネシウムの現物支給で、生計を立てていくために、子供のおもちゃや三輪車、鍋釜などを作っていました。マグネシウムはそもそも輸入材で、昭和30年代頃には材料が無くなり始めました。マグネシウムと同じ軽金属で加工がしやすく強度も出しやすいということで、アルミニウム鋳造に切り替え、折しもオートバイの勃興期であり、オートバイのエンジン部品を手がけるようになりました。先代社長の父が入社したのもこの頃です。父は中島飛行機(現富士重工)で軽金属の仕事をやっていましたが、叔父に誘われて、光生アルミニューム工業としての立ち上げに加わりました。昭和40年代に入り、社長であった父は、これからは自動車の時代であると判断し、会社を名古屋市からトヨタ自動車の本拠地である豊田市に移転し、乗用車のエンジン部品やブレーキ部品を手がけ始め、昭和50年代から現在の当社の主力製品であるアルミホイールの生産を開始しました。戦後混乱期から始めて、マグネシウムやアルミニウムの鋳造による生産技術においては、当社は先頭を走ってきたと自負しております。