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中部発きらり企業紹介 Vol.110

更新日:平成29年10月31日

型にはまらない発想と柔軟な対応で、人を育成し、会社を発展させる

株式会社 光機械製作所
三重県津市  
  • 工作機械
  • 切削工具
  • 人材教育
  • ダイバーシティ
スター★ちゅぼっと君
 今回は、株式会社光機械製作所の西岡慶子(にしおかけいこ)代表取締役社長にお話を伺いました。 ユーザーからの要望に一品一様対応するオーダーメイドの工作機械と、工具の設計・製造をメインとしています。
 世の中の流れが大きく変わった2001年に社長に就任してから、“人”にフォーカスした経営を実践。 人材育成に力を入れていることで、変化に対応できる体質を作り上げ、会社の発展に繋がっています。
 2014年には経済産業省より「ダイバーシティー経営企業100選」に、2015年にはAPEC閣僚会議で「APEC女性活躍推進企業50選」にも選ばれています。
 会社の発展、更には日本のものづくりの発展への強い思いを語ってくださいました。
専用(=オーダーメイド)工作機械と切削工具;景気に負けないビジネスモデルを作り上げるまで
西岡 慶子 代表取締役社長の写真
西岡 慶子 代表取締役社長
 創業者の祖父は幼少時代から、いつか起業したいという思いを抱いている人でした。若い頃は発電設備のエンジニアとして企業で働いていました。 当時の日本は今とは違い、電力の供給が不安定で、工場は操業の途中でシャットダウンしてしまうことが良くあったようです。 安定して操業するため、大手メーカーは自家発電設備を持ち始めました。
 当時はこの津市のあたりは紡績産業が盛んで、繊維工場が多くありました。 1930年代初頭、そのひとつの倉敷紡績に、自家発電設備を据え付けに来たのが祖父で、それが津市と西岡家の出会いです。 そこでの仕事ぶりや技術が買われ、倉敷紡績から技術者として引き抜かれたようです。 その後時代は戦争の色が濃くなり、起業どころでなくなりましたが、いつかは…という思いを捨てずにいた祖父は、終戦を迎えてすぐ、今しかないと思い切って創業したようです。 1946年の春でした。
工作機械
【工作機械】
物質の中で最も硬いダイヤモンドを研削する“ダイヤモンド工具研削盤”は、女性社員が主体となって開発した。軽いハンドル操作、押し易いボタンやレイアウト、見やすい画面など、女性目線を活かすことで誰もが使いやすい設計に。
改良を重ね、この秋新商品をリリース予定。
 倉敷紡績での10年程の経験を活かし、紡績機械の製造やメンテナンスを生業にして独立しました。紡績機械の部品を作ろうとすると、当然工作機械が必要になります。 闇市が横行しているような当時、機械を探したところで今のような商社も無ければ、欲しい機械は手に入りません。軍需産業からの払い下げの機械がやっと買えた時代です。 仕方がないので、文献を見たり大学の先生に教えてもらいながら、平面をまっ平らにする平面研削盤を自分たちで作り上げました。 そんな頃、祖父の知人で商社を始めた人がその機械を見て、“日本では今、多くの工場がこれを欲しがっている。しかし作れるところがない。ぜひ作ってほしい。 作ったら私たちが売るから。”と進言したそうです。それを機に、自分たちがなんとか使えるだけの機械から、商品としての機械にするために、三重県へもサポートをお願いして、 工作機械メーカーとして体裁を整えたようです。1950年代のことです。
 しかし工作機械は不況になると一番にあおりを受け、安く売らなくてはいけません。 それでは経営が成り立たないと、在庫をおさえられるレディメイドから、オーダーメイドの機械づくりへ方針を転換しました。ここが当社の一番大きな転機だったと思います。 同じものを繰り返し作るのと、お客様からの様々な要望をその都度設計に折り込み機械を作るのとでは技術が全く違ってきます。 当初は日本電装(現在のデンソー)の工場で使う機械の組み立てを請けて色々な経験を重ねながら、その一方で社内では果敢に開発にチャレンジしながら、一品一様に対応する力をつけていきました。 オーダーメイドの機械づくりが事業として軌道に乗り出したのは1970年代に入ってからでした。
切削工具
【切削工具】
加工物の表面や溝を削るためのインサートや、穴を開けるためのドリルなど。高精度な作り込みで、工具としての高い性能・寿命を実現している。
 二代目社長であった父は、納入先の切削工具の製造現場を訪ねた際に、生産効率が悪く改善の余地があることに着眼しました。 工作機械は一度売ると何年かは需要がありませんが、工具は消耗品なので回転率が高い。 経営の安定化のために受託加工の仕事が欲しかったところでしたので、当社で切削工具の加工が手掛けられる様に営業活動を進めました。
 こうして1970年半ばに入り、“オーダーメイドの工作機械”と“切削工具の製造”を2本の柱とするビジネスモデルが出来あがり、 それまでは景気の波に翻弄されて大変でしたが、その影響を受けにくい体制が確立されました。
         
中国設備メーカーとの業務提携による売り先拡大
 当社の機械はインテリジェンスが高いものが多く、価格も高くなります。簡単な機械でいいというニーズがあっても、当社で作るとどうしても高くなってしまいます。 そこで2015年に、中国の深藍(しんらん)精機有限公司と業務提携をし、そのような要望に対しては、深藍精機の機械を当社が代理店として販売することで対応しています。 提携している当社が品質保証して納品し、不具合があればアフターケアもしています。
 このマーケットには放っておけば遅かれ早かれ中国の企業が入ってきます。そうなってからでは当社は打つ手がなくなります。 現時点で協業することで、彼らの付加価値も上がるし、私たちが失うかもしれないマーケットを維持することもできます。
         
航空宇宙や医療機器分野などへの参入
 2013年に創設した研究所(千葉県柏市。設立当時は茨城県つくば市。)では、レーザー加工の研究開発を行っています。 そこでのテーマは、肉眼では見えない微細な穴を開ける加工法などです。 各方面のお客様の試作を請けて、“光機械製作所でしか結果が出せなかった”というようなことが積み上がってきており、手ごたえを感じています。 この技術では、医療分野などこれまで縁の無かったところに縁ができつつあります。
 航空宇宙産業にも参入しており、飛行機の機体に穴をあけるドリルを作っています。 2016年には、津市と当社が「アジアNO.1航空宇宙産業クラスター形成特区」の一つに指定されました。
         
社内不正、リーマンショックを経て、人の成長が会社の成長の原動力に
ものづくり道場
ものづくり道場
 このように当社が発展してこられた理由のひとつとして、2001年に社長就任してから、人材育成に力を入れたことが挙げられます。
 私は入社前は、アメリカの石油掘削会社で秘書通訳として勤務した後、フリーランスで会議通訳や商談通訳などをしていました。 世の中が大きく変化した時期でした。金融ではビッグバンという言葉が躍り、アメリカ型の経営が日本に示されました。 1990年代、私は自動車業界の開発現場や経営の最前線で業務提携や合併、株の買収など、緊張感の高い商談通訳にも携っていましたので、そういう感覚で当社の状況を見ると、 “現状のままでは先細ってしまう。グローバル化やIT化はどんどん進み社会も激変する。当社も変わらないといけない。”という危機感を持ちました。 当社は技術こそ持っていましたが、内部統制やマネジメント、男女共同参画など、今当たり前のように求められることは出来ていなかったのです。
 また残念なことに、就任後、社内で不正が見つかりました。その対応にも苦労しましたが、このとき“企業は人がすべてだ”ということが身に沁みました。 技術やスキルがあることはもちろんですが、自分の考えや倫理感をきちっとしていることが大事だと痛感し、これからは“人”にフォーカスした経営をしていきたいと思いました。
 それから間もなくして、リーマンショックがあり、仕事が激減しました。 ただ座してこの状況が過ぎてゆくのを待つのではいけないと、厚生労働省の雇用調整助成金を活用して、社員教育をすることにしました。 生産に必要な最低限の人員をラインに残した他は、全員を対象としました。私を始め何人かの社員も教える側になって、カリキュラムを組みました。 当時多くの工場は週休5日でしたが、当社は週休2日のままで、1人もリストラせずに済みました。周囲からはなぜそんなに忙しいのか?と不思議がられるほどでした。
 製造現場の社員に対しては、職業訓練指導員の資格がある社員が機械加工や組立やきさげ(手作業で行う金属表面を薄く削りとる技能)の実習や品質管理などの教育にあたりました。 これらの経験を活かし、当社の育んできた技術を次世代に伝え、新たな技術開発に繋げる場として、「ものづくり道場」を今も開催しています。
経営塾
経営塾
 幹部候補に対しては、マーケティングや会計、経営哲学、プレゼンテーションの教育をするほか、ディスカッションの訓練も行いました。これが今に繋がる「経営塾」のスタートです。 教育の効果もあって、それまで各部内で作成していたPL(損益計算書)などにおいて、数字への理解がより一層深まりました。 また、それまで社外でプレゼンテーションするのは私の役割でしたが、研修の効果によりそれぞれが担当してくれるようになりました。 100人規模のオーナー会社では、トップダウンの色合いが強くなりますが、今では提案や進言もあがってくる様になりました。 経営においては、数字やデータで物を言うことが大切で、風通しのいい風土づくりの基本になっています。
瞑想講座
その他、社員の要望も聞きながら様々な研修を実施している。最近では「瞑想」の講座も。すぐに効果が期待できるかは別として、会社が柔軟に対応する姿勢を示すことが、社員へのモチベーションにも繋がっている。
 人材教育を充実させることは、ダイバーシティにも繋がります。 かつては男性が主、女性は補助という見方をしていた人たちも、女性の論理的で的を得た発表や、やんちゃな風貌の男性社員の優しい発言を聞き、 人は見た目や思い込みと違うのだということを認識すると、男女や世代、部門など、様々な壁が自然に低くなっていきました。
 当社の社員は、国籍も学歴も年齢も多様です。そうした環境で自由闊達に議論し、仕事をすることで、各人が成長し、会社のエネルギーの源になるのだと思います。
         
日本のものづくりを守りたい。培ってきた技術は残していくべき。
 後継者不足は、中小企業が直面している共通課題です。経営者も高齢化し、後継者が見つからないまま廃業する会社も少なくありません。 市場のなかで事業の新陳代謝ができず淘汰されていくのは仕方ありませんが、残さなくていけないものは残すという努力をしないと、日本の技術力は弱体化していきます。 国は事業承継をしやすいような仕組みづくりの見直しが必要だと思います。
 私は以前、大学の研究で、老舗企業がどれだけ地域に貢献しているかを調べたことがありますが、 人口の増減、課税所得、従業員数などから独自に設定した“地方の活性指数”と、老舗企業の輩出率との相関関係を見ると、 老舗企業が多いことが必ずしも地域の活性化には繋がっていませんでした。国の将来の基本に経済力や産学力があります。 世界で戦える企業が、多く育ち発展していけるようにならなくては国力の維持は難しくなります。 そのためにも企業は、それぞれの持ち場でイノベーションを創出していかなければならないと思います。
         
イノベーションを起こして更なる成長へ
 社長就任後、失敗や苦労も多くありましたが、今日まで70年をこえる歴史を繋いでこられたのは、小さなイノベーションを実践してきたからだと思います。 イノベーションといっても技術革新という大がかりなことではなく、「あの技術とこのアイディア」「あの技術とこの技術」という様に、あるものとあるものを「結びつける」「つなぐ」という発想が重要だと思います。 これまでに蒔いた種のいくつかが実を結んできました。深藍精機との業務提携も、この発想がベースです。それで新しいビジネスが生まれましたし、人も育っています。 そうしたことは他にもたくさんあると思っています。これからも、イノベ―ションスピリットを大切にしていきたいと思います。
         
会社概要
Company Profile
西岡 慶子 社長写真
西岡 慶子 社長
株式会社 光機械製作所
法人番号
7190001000882
〒514-0112 三重県津市一身田中野8-1
事業内容
・専用工作機械の設計・製造
・特殊工具の設計・製造
・微細レーザーの受託加工
1946年(昭和21年)
代表
代表取締役社長 西岡 慶子
資本
4,000万円
従業
約100名(2016年6月末時点)
株式会社 光機械製作所 ホームページ外部リンク
TE
059-227-5511
FA
059-227-5514
(平成29年10月時点)

このページに関するお問い合わせ先

中部経済産業局 総務企画部 情報公開・広報室
住所:〒460‐8510 愛知県名古屋市中区三の丸二丁目五番二号
電話番号:052-951-0535
FAX番号:052-951-0557

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